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NeedとWantで選ぶ

NeedではなくWantで選ぶ

 

 

「ヴィーガンだから食べられません。」

そう言うと、ときどき誤解されることがあります。

 

 

アレルギーがあるの?

宗教的な理由?

健康上の問題?

動物愛護?

 

もちろん、そうした理由でヴィーガンを選ぶ人もいます。

 

けれど、私の場合は少し違います。この説明が今まで難しかった。

 

私がヴィーガンなのは、Need(必要)だからではなく、Want(望む)だからです。

 

 

 

NeedとWantの違い

 

Needは、生きるために必要なものです。

 

水。

空気。

睡眠。

安全な住まい。

 

これらがなければ、生きていくことが難しくなります。

 

 

一方でWantは、

 

「こうありたい」

「これを大切にしたい」

「この世界を選びたい」

 

という、自分の価値観から生まれるものです。

 

 

 

例えば、

 

海辺に住みたい。

ハープを弾きたい。

本を書きたい。

この人と人生を共にしたい。

 

生きるために絶対必要ではないかもしれません。

けれど、その人らしく生きるためには大切なものです。

 

 

私にとって、NeedとWantの線引き、結構明確にあって。

 

ヴィーガンでいたいから、友人と外食しない

は選択肢です。

 

でもそれは、友人との外食が嫌なわけではないのです。

 

 

私の生き方の優先順位です。

私はその場の感情で左右されない。

それは、自分との約束を守りたいから。

 

 

ところが、なかなか受け入れてもらえないどころか、大変ねと言われる。

 

この辺りの感覚、自分と他人は違うのだな、とつくづく考えさせられます。

 

 

 

ヴィーガンは私にとってWant

 

私は、乳製品を摂ると体調が悪くなるわけではありません。

肉を口にすると命に関わるわけでもありません。

 

だから、ヴィーガンは私にとってNeedではありません。

 

食べようと思えばお肉も食べられます。それでも選ばない。

 

なぜなら、私が望む世界がその方向にあるからです。

 

 

「できる」と「したい」は違う

 

大人になると、

 

できること と したいこと

 

を混同しがちです。

 

 

肉を食べることはできます。

魚を食べることもできます。

 

 

けれど、

 

 

「私はそれをしたいだろうか?」

 

と自分に問いかけた時、答えはNoです。

 

 

 

それは善悪の話ではありません。正しい・間違っているの話でもありません。

 

ただ、私が選びたい生き方ではないというだけです。

 

 

Wantは自由を生む

Needだけで生きる人生は、どこか義務感に満ちています。

 

 

やらなければならない。

持たなければならない。

稼がなければならない。

 

もちろん、現実にはNeedも大切です。

けれど人生を豊かにするのは、意外とWantの部分です。

 

どんな音楽を聴きたいか。

どんな人と時間を過ごしたいか。

どんな世界にお金を使いたいか。

そして、何を食べたいか。

 

ヴィーガンという選択も、そのひとつです。

 

私はヴィーガンを勧めたいわけではありません。全員が同じ食事をするべきだとも思いません。

 

 

肉を食べる人も、

魚を食べる人も、

ヴィーガンの人も、

 

それぞれの価値観があっていい。

 

大切なのは、

「なぜその選択をしているのか」

 

を自分自身が理解していることではないでしょうか。

 

 

Needで選んでいるのか。

Wantで選んでいるのか。

 

 

だけど、この、それぞれの価値観って難しくて

やはり、価値観が違うもの同士が一緒にいると、しんどくなるみたいで、限界もあるみたいです。

 

 

みんなに合わせる、博愛主義的なのも、私の場合は初めから無理。

 

人間は、自分に都合の良いことしか、受け入れられない。

なぜなら、そうしないと、やっていられないから。

 

 

 

 

ヴィーガンでいると、

 

「いつまで続けるの?」

 

と聞かれることがあります。そのたびに私が思っているのは、

 

 

我慢や制限と勘違いされるけれど。

 

私の意図を持った選択です。

 

 

 

だから私は今日もヴィーガンでいます。

 

必要だからではなく、そう生きたいから。

 

それが私のWantだからです。